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執筆者の写真直美 深井

20世紀のポスター展



久しぶりに美術館に足を運びました。

コロナ禍でも、どうしても見たかった

東京都庭園美術館の「20世紀のポスター展」。



ヨゼフ・ミューラー=ブロックマンやエミール・ルーダー、

オトル・アイヒャー、アルミン・ホフマン、マックス・ビルなど…

大学時代から興味があった作品が

原寸で!現物が!見られるまたとないチャンス!


しかし実は、私はこれらを初めて見たわけではありません。


2001年、多摩美術センターで行われた

「コンストラクティブポスター展」に

新潟に住んでいた当時、それを見るためだけに

日帰り往復新幹線で東京に足を運びました。


その当時、まだ新米デザイナーだった私は、

注釈すら美しく配置されたポスターの

隅から隅までデザイナーの神経が行き渡っていて

無責任なところが0.1mmも存在しないポスター群を前に、

一人涙したのを覚えています。


右下に6ptと指示されたら逆らうことのできない私、

言われた通りにしかレイアウトできない私、

与えられた写真素材、即物的で分かり易すぎる表現、

自分に対する不甲斐ない惨めさでいっぱいになりました。

もちろん、はるか昔の巨匠たちに対する畏敬の念も感じました。


今回は、涙のナの字も出ないくらい

カラッと冷静に鑑賞しました。

自分と比較するのではなく、

客観的にポスターと時代の流れを見ることができました。

そこで感じることができたのは、

デザインの最適解は時代とともに変わる。と。

ポスターデザインは、デザイナー 一人だけの仕事ではなく、

時代ごとの(印刷)技術と表現の合わせ技なのだ。と。


個人的に好みの作品は、

ブロックマンのような清々しい平面構成的なものですが、

当時の技術で難しいことに挑戦したからこそ

生まれる緊張感なのであって、

現代で、それをそのままパクっても

成立しないんだと思いました。


当時の技術のシルクスクリーンや特色刷印刷で

職人が工芸品を作るように神経を研ぎ澄ませて刷ったから

その息遣いも伝わっての美しさであって、

現代、誰でも簡単にMacで水平垂直が描け、

正確な毛抜き合わせの印刷も容易なデジタルDTP時代に

大真面目に同じことをしても緊張感は生まれず、

網点の見える美しくない色ベタに興醒めするばかり。


誰でも簡単にできることに

誰も感動はしないでしょう。


大切なのは、

当時のデザイナーの作品を真似ることではなく、

今の技術の中でできる最高を目指そうとする気概を学ぶこと。

今は今のデザインを模索していかなければなりません。


…ということにようやく気付いた私。

行ってよかった。


同じ展示を20年ぶりに見て、

自分の成長に気づくことができました。

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